荒子の観音さま




今から二百年あまり前のお話です。
荒子村の甚兵衛という お百姓のところに、可愛いお嫁さんが来ました。
そのお嫁さんの名を あいさん といって それは気立てがよくて、よく働 く人でした。
甚平衛さんと あいさんは毎日、仲よく百姓仕事に精をだしておりました。
あいさんは朝早く起きると、まず、近くの観音様にお参りをしました。雨の 日も風の強い日も一日もかかしたことはありませんでした。

そんなある時、一人のみすぼらしい坊さんが荒子村にやってきした。お布施の お米を頂くために、一軒一軒お経をとなえながら、巡ってましたが、なかなか お布施があつまりません。

甚平衛さんの家の前に来て、なにやらお経をとなえだしました。それを見 て、あいさんはお布施の米を気前良く坊さんに差し上げました。そしたら、 坊さんは「ことしの田植えの時分には雨が降らないので、皆が困るだろう その時は葦で竜の形を作って、観音様にお祈りしなさい」と謎のような言 葉を残して、立ち去りました。

あいさんは、いつか、そんな事忘れていましたが、その年は春から干ばつ が続いていて、田植えが出来なく村中の人たちは大変困ってしまいました。

その時、あいさんは ふと坊さんのかつての言葉を思い出して、早速、葦で 竜の形を作って朝早く、観音様にお参りして、一心にお祈りしました。

そのためか、その日の午後から、雨が三日三晩、降りつづけ、やっと村人 は田植えをすることが出来ました。その話があつちこつちの村に伝わりま した。

あいさんの在所である御替地新田(現在、南区御替地町付近)まで伝わり ました。早速、御替地新田の方にも雨を降らして貰おうと、村人たちが、 荒子観音まで出向き、竜神像を頂いてきました。

その竜神像は円空の作で、今も御替地神社の境内に祀られています。約 1メートル20センチの高さがあり、像の裏に、墨で、その訳と安永9年(17 80)7月吉日と日付まで書かれています。
円空さんは寛永九年(1632)に美濃の国(岐阜県)で生まれ、富士山や加賀 の白山などで修行し、完治の村々を訪れ、雨乞いから大漁や豊作の祈願 をして歩いた坊さんで、鉈一丁で仏像を刻んだといわれています。 現在、荒子観音には円空仏が、三メートルの仁王像から三センチばかり の木端仏まで、1243体もあります。
 


「むかしばなし」     中川区風土記より




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